兵庫県三木市『三木金物まつり2024 』に行きました。令和6年能登半島地震復興支援物産展があり、FMかほく『のとジンに乾杯』『Hideki de Kiss ヒデキス』の
【のとジンさん(ジン | のとジン-能登人NotoGin)】が出展されていました🍸️
三木市は、1995(平成7年)1月の阪神・淡路大震災で大きな被害に遭った神戸市や明石市の北側に位置しています。令和6年能登半島地震復興のお手伝いがしたいと、このたびのお祭りに能登の5団体を招待。
令和6年能登半島地震復興支援物産展について | 三木金物まつり
私が【のとジンさん】のラジオを知ったのは、のとジンさんがDJを務めていたFMかほく音楽番組『ミュージックバンジー』2020年9月の西城秀樹さん特集がきっかけでした(『ミュージックバンジー』放送当時のお名前は、DJユキカナザワさん)。
当時ユキさんは、能登の里山里海材料を使用したジンの開発中。ヒデキ特集をされたのは、ユキさんがヒデキと同じ広島出身で、秀樹さんのことが気になっていたこと、その年の8月に、図書館で秀樹さんの奥様木本美紀さんの書籍『蒼い空へ』や、秀樹さんの著作物を読まれ、とても感動した…等の理由があったとか。9月2日、「今月のピックアップアーティスト」としてヒデキを取り上げ、『遙かなる恋人へ』をオンエアしたところ、全国のヒデキファンから大変な反響とリクエストがあり…。その後もユキさんは、2021年4月28日放送終了回まで、毎週秀樹さんの楽曲をオンエアして下さりました。
『ミュージックバンジー』最終回、ラストの楽曲は、西城秀樹さんの『プロローグ』(アルバム「SONGS」1980年)。
www.youtube.com
その時にユキさんが添えて下さった言葉、感動して書き留めていました。
この番組を通じて、愛について学ばせて頂くことができました。
そのきっかけを頂いたのも、愛の伝道師・西城秀樹さん。
そして、その秀樹さんを一生応援し続ける秀友の皆さんです。
最後は、あなたにとっても、そして私にとっても、このミュージックバンジーが、これからのプロローグになることを願ってお届けします。
西城秀樹で『プロローグ』。
DJユキこと、ユキカナザワでした。
See you next time.
番組終了後、ユキさんとメールのやり取りで頂いた言葉。
アーティストの中には、神様からお役目をもらって、
地上の私たちに、愛の存在を気づかせてくれるために降りて来た、
と思える人たちがいますが、
秀樹さんは間違いなくそういう方だったんでしょうね。
(メールの公開について、ユキさんの許可をいただきました。)
あれから4年。ユキさん開発のジンは【のとジン】として発売され、さらにユキさん自身が【のとジンさん】として、商品の開発改良・販売のため、日本各地を駆け巡っています。
また、ラジオDJとしても、FMかほく『のとジンに乾杯!』で、のとジンの紹介の他、能登で生きる方々へのインタビューや、能登半島地震について継続発信。
さらに、『ミュージックバンジー』の後番組、西城秀樹さんの歌を24分間ノンストップでオンエアする番組『Hits de Kiss ~ヒデキス~』https://x.com/hitsdekiss
のスポンサーとして、秀樹さんとヒデキファンの応援を続けて下さっています。
いつか直接お礼をお伝えしたいと思っていたのですが、兵庫県に来て下さったことで、初めてお会いできました。本物の【のとジンさん】は、とても背が高く驚きました。『ミュージックバンジー』当時の自己紹介写真は黒髪でしたが、今は素敵なシルバーグレーに。…あれからもう4年も経ったんですね。
私は、両親へのプレゼントに「願い星」のボトル、自分のために、「のトニック ローリエ」を購入しました。商品の紹介をしてくれるお声は、当たり前なのだけど、ラジオのお声と同じ。優しく、丁寧で、控えめで、ひとつひとつの【作品】を、大切にされていることが伝わる声…。
秀樹さんの存在、歌声、作品、そして、FMかほくに殺到したヒデキファンの想いを、4年経った今も大切にして下さっている【のとジンさん】。改めて、ありがとうございます。能登半島のこと、お祈りしています。
追記
Xで、のとジンさんとやり取りしたところ、三木金物まつりから帰宅すると、秀樹さんの復刻アルバム4枚が届いていたそうです🍀
作品の中で生き続ける西城秀樹さん。ヒデキを大切にしてくれる方々の元へ飛び回っていて、今も忙しいね☺
www.notogin.com
www.110107.com
さらに追記
のとジンさんと会った後、おまつりの展示を楽しんでいたら、秀友さんから、【西城秀樹 伝説のコンサート】NHKBSにて再々放送(2024年11月22日(金)18時40分~)のお知らせが。秀樹さんが旅立ってから6年半。こんな風にヒデキが少しずつだけどオンエアされている。この長い道のりは未来の西城秀樹さんにとって幸せなプロローグだった、ファンの日々の努力は秀樹さんの作品がきちんと残っていくために必要なプロセスだった。そんな風にいつか笑って言える日が来ますように。