西城秀樹さん、あなたは私のことを知りません。
ですが、知っていてくれていると思っています。
あなたがヤングマンを歌っている頃、私は小学生でした。
あなたが画面を通して、日本中にあふれていた子どもたちの
笑顔のために、歌ったり踊ったり、笑ったりしてくれていたことを
私たちは知っています。
おそらく、子供達一人一人の笑顔を想像しながら歌ってくれていた。
だから、あなたはあの時の子どもだった私のことも知っている。
そう思いたい。そんな風に思おうとしています。
あなたに再度出会った日は、あなたが天に召された翌日でした。
その日がなければ、あなたに再会することはもしかしたら
なかったかもしれません。
再会は悲しみでもあり喜びでも、深い悔恨でもあり、そして永遠の喪失でもありました。
果てしのない喪失感の中で、わたしたちは4月25日を迎えました。
私はあなたに会ったことがないので、私にとってあなたはずっと画面の向こうの人です。
ですが、ずっとコンサート会場で、あなたと一緒に歌い、育ち、年齢を重ね、喜びと悲しみを共にして来られた人たちにとっては、あなたは、肉体を持つひとりの人間であったと思います。そして、あなたにとっても、その方々とコンサート会場で会うこと、手紙を読むことは、欠けがいのない本物の愛の交流だったはずです。
あなたの体が生きることの限界を迎えた、去年の今日。
そこからもあなたは3週間生き抜きました。
それ以前からも、体の中の細胞の鼓動が、ひとつひとつ絶叫しながら消えてゆく、そんな20年近い年月を、あなたは私たちのために、それに抗い、時に受け入れ、格闘し続けてくれました。
晩年は体は動かなくても、心だけが響けば伝わると信じて、生きてくれました。
もうこれ以上は生きられない。
あなたの肉体がそう叫んだのが、去年の今日だったのかもしれません。
あなたはずっと、その肉体と歌を、私たちに捧げてくれていました。
コンサート会場に行かれた人たちに対してはもちろんのこと、たくさんの歌の中で、あなたが生きた痕跡を残してくれました。
私たちは今それらを享受することができます。
今、あなたが必死で歌い続けた人生が、次々に私たちの前に
作品や企画、コンサートとして、形として現れることを嬉しく思います。
そしてあなたの体が、今は痛んでいないことが、心から嬉しい。
心から嬉しいのに、心から悲しい。
あなたの肉体に会うことは二度とできません。
私はあなたに会いたい。
こんなにもたくさん歌と素敵な思い出を残してくれているのに、
どうしてそのことを諦めることができないのでしょうか?
会いたい。
手紙を渡して、プレゼントを渡して、一緒に歌って、ファンの皆さんと秀樹さんの体調を一喜一憂しながら、あなたを応援したい。
コンサート会場で、あなたと目があったと勘違いして喜びたい。
そして、一度でいいから「一生懸命応援してくれてありがとう」と
あなたに、褒めてもらいたい。
そしてできれば、一瞬でいいので、ハグしてもらいたい。
ただ、あなたに触れたい。
それが無理なら、あなたを見たい。
触れることができないから、私はただ書き続けています。拙い文を延々と書くことだけが、私をなんとか前向きに生きる方向に保たせてくれています。
自分に暗示をかけるように、良い言葉、前向きな言葉を選んで書くようにしています。あなたに会えてよかったと。あなたは私を知っていてくれたと。あなたは素晴らしい歌手だったと。ありがとう秀樹さん。いつも心にヒデキを。UNFORGETTABLE。
本当は、西城秀樹さん、
私はあなたにただ会いたいだけなのです。
2019年 平成31年4月25日 午後5時